朧月夜の独り言

趣味に関する備忘録と少しの日常

山姥切国広単独行

「舞台『刀剣乱舞』山姥切国広 単独行 -日本刀史-」行ってきました。

ネタバレ感想は千秋楽が終わってからにしますが。
単独行ということでいつもの刀ステとはまた違った趣の作品。
一つの舞台としても面白かったけれど、「刀ステシリーズ」としてもターニングポイントになるのかな。

stage-toukenranbu.jp


【追記】
大千秋楽おめでとうございました!
ネタバレ感想追記。

 

ネタバレ感想
考えを整理するために色々書き出しているので、まとまりのない文章になってます。


改めて、大千秋楽おめでとうございました。
歴史上の人物の方々もいるので舞台上にはたくさんのキャストの方がいますが、メインキャスト/刀剣男士キャストは単独ということで、荒牧さんは通常公演以上に体力的にも精神的にも大変だったのではないかと。
何目線だという感じですが、いちファンとして千秋楽が終わってホッとしています。


物語は山姥切国広の修行中。
原作ゲームの山姥切国広の修行という意味では修行は終わっていて、刀ステまんばとしての「三日月を救うための手がかりを求める旅」を続けている状態。
劇中に「まずは文久土佐」というセリフがあるので、時間軸は慈伝と維伝の間か。


▼序盤
ゲームの修行通り?山姥を斬ったという伝説は写しと本科どちらのものか、というところから、今は主の刀であることが事実というところに思い至る。
ビジュアルは初の姿でフードOFFという舞台オリジナル。

弊本丸の山姥切は修行出してないので詳細把握できてないので、山姥切の修行はこんな感じなのかと新鮮。
徳美さんの音声ガイドで聴いたのはまんばが山姥を斬って本科に逆輸入された説だった気がするので、刀剣乱舞の山姥切国広は本科が山姥を斬ったと思ってるのが意外。
あくまでゲームの設定としてなので、史実はまた別物ですが・・・そもそも“山姥”自体存在が曖昧。


▼中盤
極修行を終えて本丸に戻るのかと思いきや、三日月宗近を救うために旅を続けるという山姥切国広。
向かう先は、今までの戦いの中で歴史上の人物たち皆が口した「織田信長」の元。
彼を知ることで、戦いの意味や三日月宗近を理解することができるのではと考えた山姥切国広は、織田三郎信長・本人に家臣になりたいと申し出るが、三郎はそれを断り「思いを馳せよ」と山姥切国広を刀の歴史を辿る旅に連れ出す。
(思いを馳せている世界は空想にすぎず、実際の歴史に干渉しているわけではない)

ふくのすけ(こんのすけのような狐型の通信機)とのやり取りを見るに、一応主に連絡はしているようで良かった。報連相ができる山姥切えらい!
完全に山姥切一人だとモノローグか独り言になってしまうので、ふくのすけは会話の相手兼説明役という感じだけど、パペット(黒子さん)ということで、感謝祭ほどではないにしろ通常の刀ステ公演よりもポップな印象。
ギャグっぽい動きだったり、「~でし」という可愛こぶった喋り方が個人的に少し苦手だったりもしますが、ふくのすけにはもう一つ重要な役割が後半にあったりするので、やはり本作には必要なポジションかー。

三郎は元服したての15歳という時間軸ですが、器の大きさを感じさせる振る舞いが良い。
いままで未来を知った数々の武将たちが、改変しようしたり一矢報いようとしたことに対し、三郎は自分が本能寺で謀反にあうことを知っても歴史を変えようとはせず、その定められた運命を目指して生き、そして後世の人間が自分をどう思うか・どんな織田信長像を作り上げるのかを楽しみにしているというところに格の違いを感じる。
そして彼は全ての信長像を「許容する」という。
“受け入れる”や“許す”という動詞ではなく「許容」と表現することが引っかかるというか、個人的には「きょ」という音を聞くと「虚伝」を思い出す。

そして何といっても山姥切(荒牧さん)演じる歴史上の人物!!
千秋楽を終えて公式HPの配役欄が更新されましたが、「山姥切が思いを馳せて歴史上の人物になりきっている」ということで荒牧さんが何役も演じられる演出。
厩戸皇子のように仕方なくなりきってる役から、畠山氏のようにがっつりのめり込んでいる役など、歴史上の人物によってもレベル感が違ったり、途中で山姥切に戻ったり、荒牧さんの気持ちの切り替えがすごい。
どの人物も衣装フルチェンジだったのも、見ている側としては豪華でとても嬉しかったですが大変だっただろうな。
ライビュでアップで見た、三条宗近の前髪上げた姿を見て改めてお顔の綺麗さに驚いてしまった。

畠山氏に思いを馳せているところで、足利家に伝わる宝刀として「鬼丸の太刀(鬼丸国綱)」の名が出てくる。
陽伝で鬼丸が顕現する演出があったので、今後の登場への布石なのかな。


▼終盤
山姥切国広は三郎と共に神代から明治、そして円環の果てを巡り、三日月宗近を「救う」のではなく「信じる」という結論に至る。
そこへ、阿形吽形、朧の如水らが乗り込んでくる。
刀ステシリーズへの言及は後述。

ここにきて悲伝のラストを再び見ることになるとは。
三日月対山姥切のあの曲を聴くだけで悲伝の時の記憶が蘇ってきて、三日月が居なくなってしまう感覚と山姥切の苦悩を思い出して苦しくなる。
でも、三日月に思いを寄せた山姥切が信じると言えたのだから、きっと三日月は帰ってくるんだろうと思いたい。

朧陣営との乱戦で山姥切は一度折られるも、主がふくのすけに持たせたお守りによって再起する。
今までの刀ステシリーズのこともあるので大丈夫だろうと思いつつ、やっぱり破壊演出は何度見ても心臓に悪い。

そして山姥切国広の極姿!!
ずっと見てきた刀ステ本丸の山姥切国広。
山姥切国広というキャラの魅力を教えてくれたのは刀ステであり荒牧さんだったので、極の姿を生で見ることができたのは本当に感慨深い。
神々しくて頼もしくて美しい太陽という言葉しか出てこない。
極山姥切は如水らが話していた「本丸自体が円環を回っている」という言葉を聞き、三日月の後を追って自らも円環に飛び込んで行く。
審神者的にはまだ帰ってこないのか・・・と寂しい気持ちですが、山姥切の気持ちが吹っ切れて良かったなと。


***

刀ステシリーズへの伏線について
如水さまのいつもの意味深発言により物語が進んだような、新たな謎も出てきたような感じですが。


▼如水は朧の織田信長を作り上げるために、様々な信長像を取り込もうとしている。
如水の目的は「織田信長を救うこと」。
朧陣営は「歴史改変しようとしている」と明言していたので、歴史修正主義者側であることは確かだけれど、それが信長を救うこととどう繋がるのか。
救う=本能寺を乗り越える、レベルの歴史改変ではない気がするけれど、信長(というか如水様?)にとって“救い”のある歴史とは。

▼破壊された本丸の審神者コレクション。
ただ顕現すればよいのではない、強い物語が必要。
大坂の陣で真田軍が物語を付与しようとしたように、弥助が刀剣男士を斬った刀を作り出そうとしたように、刀剣男士になるには逸話が必要という意味?
弥助は審神者の手で顕現して結局失敗に終わったけど、今作は完全に人の姿の状態で保存されている・・・。

▼黒い山姥切・おくれちゃん
黒い山姥切は、三日月を救いたいと藻掻いていた過去の山姥切が形を成したものだった。
ラストで極山姥切から「太陽の物語」をもらうも、朧陣営に連れ去られて物語を求める遡行軍の打刀姿にされ(洗脳?遡行軍が憑依?)文久土佐へと送り込まれる。
強い物語を求めて文久土佐・慶長熊本と渡っていたけれど、おくれちゃんが体験した刀剣男士たちの物語はどこへいったのか。
「おくれ」の言葉の意味が「give」説と「送れ」説があり、個人的には物語を求めている感があるのでgiveっぽく聞こえるけれど、慶長熊本で破壊されるのでやっぱり「送れ」だったのかな。

▼刀ステ本丸自体が円環を回っている
今までの公演タイトルの一覧が螺旋状となり繰り返されていたことが明かされる。
今までループとして見てきたものは三日月の経験だと思っていたけれど、本丸自体が同じ事象を繰り返している。
三日月は記憶を保ってループしているけれど他の皆はどこで記憶が消える?
記憶のリセット・起点と終点はどこか・・・。
「悲伝」と書かれているところと、「陽伝」に変わるところがあるので、ループしつつやっぱり差分はあるのか。


メモ
・三郎「歴史は物語」
 後世の人間が思いを馳せた結果(歴史=事実とは限らない?)
・刀の本能は歴史を守ること。
 三日月を救いたいという気持ちを持つことは刀剣男士から逸脱している。
・思いを馳せる
 相手を理解しようとするほど遠ざかる
 心を向けることが相手に近づくこと
・キービジュアルが虚伝再演の三日月と対になっている